一夜明けてXのタイムラインを見てみるとコミュニティには珍しい所謂"お気持ち"が散見された。
触発されてしまった、というのは正直あるけど自分の考えも残しておきたいなと思い雑多に書いていこうと思う。ただ、あまり読んでもらうことを前提として正しく文章をかける気がしない。
勿論こういったことは本人たちが観測できてしまう場で大っぴらにするべきじゃないかもしれないけど、6年間積み上げてきたエゴということでどうか許してほしい。
まず最初に宣言しておきたいのは私自身は昨日発表を受けてトータルでは「ポジティブ」な気持ちを持っています。その上ですでに見たほかの人の考えとか過去自分が思っていたことも少し残していきたい。
ではまず"最後の"と"新体制"について
まず最初に正直なことを言ってしまうと"最後の"という文字を見たとき一瞬にして急激にネガティブな想像が襲ってきた。
可能性として”本当に終わってしまう”、”新体制として一人の女性シンガーになる”が一瞬よぎったけど彼女たちの声色をみてすぐ安心した。「いや流石に大丈夫」と自分に言い聞かせた。
問題だったのは"最後の物語"の部分。
物語を完結させたい、ってことはうみのそこで生まれて、歌を歌い始めて、という根幹の物語に区切りをつけたいってことだよね?
ここで「第1話 だれもしらなかった、うみのそこ」から4年止まっていたものを急に動かしたと思ったらいきなり終わらせるの?って少し思ってしまった。
この第1話が出た時、第2話、第3話と続いて7話くらいで終わるのかなあ
なんて予想した記憶がある。1話があれば当然続きがあるだろうってごく普通の考え。
当時は設定や世界観をバリバリにしていたVtuberも多くいる中で特に自分は薬袋カルテというVが好きだったのだけど演者として普通に配信しつつも薬袋カルテという存在の設定が揺らいでしまう程の人気が出てしまい世界観を守るため、Vという形を終了し実質引退というような流れになってしまった。(と個人的には解釈している)
当時、エルぽきもそちらに近いのかなと考えていてメインストーリーが既にあってそれと共に活動が続いていくのかなと、正直なことを言うと4年くらいでメインストーリーの完結と共に活動が終わってしまうんじゃないかと思ってた。
ついでにそもそもファーストインプレッションでなぜあそこまで好きになってしまったのかも語っていこうと思う。俺の好きの始まり。
これはマジで誰にも言ってないけど最初はPBを勝手にサークルとして解釈していて、それもイメージしているのは大学生のサークルみたいな、何かを作りたい人が技術と熱量を持ち寄って一つのものを作っている。感がたまらなく心地よくて。
そんな人たちが作るものを見たい、という気持ちが強かった。個人的にも創作には興味があったものの結局何もせず生きてきたという憧れや嫉妬みたいなものも実はあった。UnderWaterや君の街までのMVなんか正にその創作意欲の結晶と思えるような、そんな作品だった。
ただ活動が続くにつれ、ここ数年の活動をみていて事務所化、モデルアップデートや楽曲MVも含めVtuberらしく進化していくのを見て少し最初にしていた予想とは違う方に向かっている(本人たちも最初は考えていなかったのかもしれない)と感じた。
第一印象で好きだった側面が薄れてしまったと思ってしまい。ああでも嫌いになったわけじゃない!彼女たちの今も否定したくない!根幹は変わっていないと葛藤したことが実はあった。
実はそのせいで少し推し活に熱が入らずにエ今可の頻度が減ってしまった、というのは数回あったおしゃべりの時も言えなかった(一応笑い話のつもりではある)
なんかまとまりがなくなってしまったけど書いていたらすっきりしてきた。
「第1話 だれもしらなかった、うみのそこ」から4年止まっていたものを急に動かしたと思ったらいきなり終わらせるの?の話に戻ろう。
結局当時は2話、3話を期待していた自分がいたけどここ数年で2話以降の話なんてプロットがあるようなものじゃないじゃないか、彼女たちの道の先が終わりのある物語じゃなくなったんだから。
ただその先に進むには区切りが必要なんだと思う。どうしても物語の終わりという字面からは良くない印象を持ちがちだけどこれまでをないがしろにしたいわけじゃないだろうし。
なんて考えていたら納得できてしまった。
もともと創作、設定として彼女たちを見ていた部分は否定できない。
でも当然彼女たちだって生きているし、やりたいことも、実力も、気持ちも、もちろん変わるのだ、自分の予想や願望と違っていただけ。
人間だからそれでガッカリはしてしまうかもしれない、けど今までもこれからも自分の思っていた通りじゃなかったところに新しい好きを見いだせていける。
最初に好きだった理由はきっかけに過ぎない、蔑ろにしていいわけじゃないけど変わっていったっていいや、だってまだ好きなんだから。
歳を取ってきた自分に都度言い聞かせている「変化を受け入れよう」の心だ。
というか理屈はいらないや、↑の文章を書いていたら自分はいい気持ちで吹っ切れてしまったのだ。ああ変化を楽しむってこういうことか。
次に”Lir.E”について
自分だけに限らずファンの中にはVtuberが大好きな人が多いと思う。
自分も一瞬「エルセとさめのぽき」という名義を捨てるのか、なんて嫌なフレーズがよぎってしまった。もちろん本人たちにそんなつもりはないだろう。
でもVtuberとして接してきた以上ファンにとっても「エルセとさめのぽき」は重い名義になっていた。きっとこれからしばらくは「Lir.E」よりも「エルぽき」と呼称してしまうだろう。
彼女たちの進む道の先で「エルセとさめのぽき」から「Lir.E」に代わる必要があった。
星野めあがMairになったのと同じなのではないかなと勝手に思っている。(こればっかりは本当に勝手。きっとこれ以外にも重い信念が理由になっていると思う。)
Vtuberとしてではなく音楽アーティストとして。そのために必要な変化であり大衆から曲をVtuberの曲ではなく1アーティストとしての作品としてみてもらうために、言葉を選ばずに言うと舐められないために、呼称しやすいように、表記しやすいように、必要なことなんじゃないかと思った。
アーティストの一面を持つVtuberではなく、アーティストでありVtuberとして活躍するために必要な変化。
個人的な感性の話でしかないけどLir.Eという言葉がすっと入ってきたこともあって素直に変化を受け入れることができた。
いまあと何か書くことあるかな・・・・と書いた文章を少し読み返している。
結局中盤の好きになった理由と葛藤を書いた後はモヤモヤすることがなくなってしまい逆に筆が乗らなかったな・・・・
でも少し涙が出てきた。こんなにも気持ちを綴れるほどに追いかけてきたんだ。
BLUEの公開をPCの前で待っていた後の時から6年も経とうとしている。
6年同じコミュニティに属していたことってほとんどないかもしれない。
これだけ追いかけてきたんだし最後までついていこうという気持ちの整理がこれでちゃんとできた気がする。
どこかでまた少し引いてしまうことはあるかもしれない、人間だから。
「無理なく楽しく全力で」のフレーズがそんな自分を許してくれる、とてもいい言葉だ。
なんだか言わなくていいことや言うべきことがもっとあるかもしれないけど素直な気持ちはかけた気がするのでこの文章は推敲せずにおいておこうと思う。(誤字だけ後で治すかもだけど)
願わくば。みんなと笑顔で10月6日を迎えられますように